月刊パラレログラム

月刊パラレログラム

備忘録を兼ねて、映画の感想など。

『美女と野獣』のミュージカルと実写とアニメを全部観た日記

※作品の展開や一部の台詞・歌詞に触れています。あと全体の半分くらいは燭台の給仕長ルミエールもしくは劇中歌『Be Our Guest(ビーアワゲスト)』の話をしています。

1.ミュージカル版(劇団四季)を観た話

やられてしまった。
素敵なお誘いを頂いたのをよいことに、『ディズニー作品に触れてはいるがすごく詳しいわけではない人』という程度のふんわりとした知識(子供の頃にひととおり観たが細部の記憶はあやふや、有名曲や名シーンやキャラクター名は知っている)で舞浜アンフィシアターにミュージカル版『美女と野獣』(劇団四季)を観に行って、完全に打ちのめされてしまった。だってアラン・メンケンがあまりにも天才で、劇中歌が全部、本当にいい曲で。だって出てくる人たちが、揃いも揃って歌がうまくて。何より、ルミエールが悪いんです、あの、燭台が!

というわけで、これはうわーすごいなーと無邪気に劇を観ていたら、人間サイズのルミエールがビーアワゲスト(邦題『ひとりぼっちの晩餐会』)を熱唱しながらまだご主人様が満足に会話すらできてない段階のベルと腕組んで踊るわ抱き上げてくるくる回るわしていて「何事!?」と衝撃を受けた私がその勢いのまま実写版を履修・アニメ版を再履しました、というご報告です。いや知ってた、ルミエールという陽気なろうそくのことは小さな頃からとっくに知ってた。フィルハーマジックでもガンガン場を回してたし。でも、あの、等身大になったら急にめちゃくちゃ格好よかったんですよ…歌も上手いし(四季なので)…子供のチップ(ティーカップ)に「かわいい友よ」って対等に呼びかけるのも素敵で…。なお羽根箒の彼女バベットともどもゴリゴリの浮気者です。真実の愛が全てを救う! みたいな話にゴリゴリの浮気者がふたりも挟まってるの面白いな。あと上着が黒いんですよ! パンフレットを凝視するとどうやら厳密には紺っぽいんですけど、舞台上では黒に見える。金の縁取りで。そんなの……格好良いじゃん………。

www.youtube.com

↑まあご覧くださいよくるくる回るところを。あと野獣の美声(後述)を。

本当に、冗談じゃなく、観劇しながら「ベル、野獣の前にルミエールのこと好きになっちゃうんじゃない?」とハラハラしました。だってひどい目に遭って閉じ込められて、ひもじい思いをしてたタイミングで、あんなに明るくあっけらかんと至れり尽くせり優しくされちゃったらさ…。歌も上手いし(2回目)。そりゃルミエールは燭台ですが、そもそもベルは相手を外見で判断しない女性なわけだし。いやいやまあまあ少なくとも劇中で「ご主人様をあんなふうに育てた我々にも責任が」などと言っているくらいだからベルおよび野獣よりはかなり年上だろうしいくら浮気者とはいえそんな女殺しキャラではないだろうとは…思いますけど…へえ…人間に戻ったら白手袋なんだ……好き……。

のっけからルミエールの話しかしてませんが本当にすごい舞台だったんです。特に、野獣の解釈がとてもよかった。誰があのアニメ版から、この幼く素直で反抗期で可哀想な野獣を導き出したのだろうか。パンフレットによればオリジナル版の脚本家の方がブロードウェイ版向けの改稿も手掛けられたそうですが、このキャラクター造形には脚本だけではなく翻訳や演技も大いに関わっていると感じます。どうして執拗に夕食に誘うのかをベルに問われた時の返事として、「君と一緒に食事をしたいからだ!!(毅然)」と「い、一緒にっ…食べたいからっ…だ~!(地団太)」じゃあ全然違うじゃないですか。少なくとも私が観た回の野獣は後者だったんです(台詞はあやふやなので、ニュアンスでとらえてください)。オリジナルとは別物だけれども、それがものすごく、よかった。
何しろこんな感じで途中からは「どうしようどうしよう!」といちいちルミエールとコグスワース(時計の執事長)に頼りまくるため、使用人たちもご主人様に対してどんどん強気になるので観客側にストレスがなくて助かる。ずっと怒鳴り散らしのDVモードだと見ていて疲れますからね。使用人全員総出でビーアワゲスト大宴会してる時に「紳士的に…紳士的にだ…」と呟きながらひとりで廊下を一生懸命うろうろしているところなんて、あんまり必死で、可哀想で。
そんな可愛い系野獣ですがとんでもなく歌がうまい。前半の締めとして歌われるミュージカルオリジナルの彼の歌に至っては、声量がもう、アンフィシアターを包み込んでいました。歌って、凄い。まずそもそもが美声。地声にビブラートかかってるタイプの人。すごい。何あの声。オープニングのナレーションからもううっとり。ベルもまーーーー本当に歌がうまかったです(歌がうまい人を称える語彙が「歌がうまい」しかないんですけどどうしたらいいんですか!?)。やはり追加楽曲であるところのベルのソロ曲が、「ベル、あんなに広い世界見たがってたのに結局近所で結婚して終わる問題」をきちんとカバーしていてよかった。
あとはガストンが心底ガストンで……『強いぞガストン』のとき、村の男性からの人気がすごく高くていっそ悲しくなりました。これだけ好かれるんだから、我々に見えていないだけでガストンにはガストンなりの長所があったんだと思うんですよ、もっと多様な価値観のある村に生まれればよかったのに……。あとル・フウのアクロバットスキルがカンストしていた……あと大団円のフィナーレの曲が終わるところでルミエールとコグスワースがビッ!!って親指立てててすげーかわいかったです……。私の記憶力と感想力が低いせいで感動が伝わらなくてもどかしい……。

ある意味当然のことながら、おおもとが90年代初頭の作品だということもあって、手放しで何もかも素晴らしいと言えるかといえばそうじゃないところもあるわけです。外見だけ重視することと内面だけ重視することは、後者のほうが常に素晴らしいって決めつけてよいわけ? とか、さすがに現代において「傲慢さを反省してきちんとしたいい人間になれば自ずと恋愛的に誰かに愛され、それではじめて人として合格」みたいな価値観はいかがなもんかとか、そもそも長年にわたってあんなに一生懸命仕えていた使用人たちの野獣への愛情は「愛し愛されれば解ける」はずの呪いにおいてノーカンなうえ野獣本人のことも全然変えられていないってどういうことなのとか、色々思うところはあります。

つまるところディズニー版『美女と野獣』という物語は、ひとことで言ってしまえば「罪のない女の子をとじこめて自分(ご主人様)に恋してくれないかな~!と期待する」という全然正しくない話である一方で、切羽詰まった状況で、不完全な人たちが不完全なりにどうにかして人に親切にしようとしたり、よい人間になろうとしたりして頑張るというところが、個人的に妙に胸に迫りました。ここでいう不完全というのはもちろん人間の形ではないという意味ではなく、「生い立ちと状況からひねくれ過ぎてしまい、怒鳴るばかりで他者とまともに会話ができない」とか「善良だがご主人様が怖すぎて逆らえないしやっぱり呪いは解きたい」とかで、そういう人たちがベルの登場によって、何とか状況を改善するべく必死で癇癪を堪えたり怖いご主人様をばんばん叱るようになったり一生懸命誰かを庇ったりすること、愚かで自分勝手で間違っていて、それでも優しさや親切さを最後まで手放さずに持っているということの人間臭さ、そういうものが何だか、すごくぐっとくるな…と思ったのでした。
(でも実際に怒鳴りまくる人に監禁されたら、すぐに逃げたほうがいいと思います)

正直言って、気に入った作品を所有して安心するタイプ、何度も何度も再生して細部をねちねち見て楽しむタイプの人間が基本的に映像販売・配信されない劇団四季作品を好きになるのってかなりしんどいですね!!! もうすでに全然しんどい。夜な夜な観たい。
私は今は首都圏在住ですが、しばらくしたらかなりの遠方に引っ越すので絶対に観られなくなってしまいます。でも観劇を作品鑑賞の基本としてほしいという気持ちも凄くわかりますし、そもそもディズニー題材だから権利の関係とかもあることは大いに想像が付きます。でもつらいものはつらい。ひーん。よしわかった。実写とアニメを観よう!!! あとサントラを聴きます!!!(切り替え)

余談:ティーカップのチップくんをお母さんのミセス・ポットが運搬するシーン、基本的にカートなんですが1か所だけお盆に乗った生首にしか見えないサロメシーンがあって、怖すぎて気が散りました。

2.実写版を観た話

というわけで実写版を観ました。
まずびっくりしたこと→ ルミエールがかなり人間フォルムだった。

実写版は家具や道具たちもアニメ版に比べてかなりリアルテイスト、そのためたとえばポット夫人の顔はティーポット側面に描かれた柄の一部であり、表情も変わるしウィンクもしますが、立体的に口がパクパク動いたりはしません。あくまで柄。コグスワースに至ってはどこが顔なのかパッと見でわからないくらいガチの置き時計。そんな中なぜかルミエールだけはほぼほぼ人間と同じ構成の全身をゲットしています。顔もロウソク側ではなく燭台側に付いてるし金物のはずなのにやたらひらひらする上着も着てるし二足歩行(どころじゃないアクロバット)も可能! えっずるくない? ひとりだけ物質化のルール違くない? 他の使用人に文句言われなかった?? あとは声がユアンマクレガーだからか何なのか、アニメ版やミュージカル版(※私の観た回)に比べてめちゃくちゃ若くて軽くて声からお調子者感がにじみ出ているほか、予想の倍くらいご主人様の言うことを聞かない。勝手にダイニングにベルの夕食をセットしたときも野獣が反射的に「ルミエール!!!(激怒)」と怒鳴ってたので、勝手なことをするやつ=ルミエールだとご主人様にも思われているんだと思う。

ルミエールがユアンならコグスワースはサーイアンマッケランだ!というわけでサーイアンマッケランコグスワースもいます。リアルテイスト化によりアニメで見せていた表情の豊かさがなく機動力も激減している代わり、よく歯車とかこぼしていてかわいい。
オリジナルのアニメ版だとコグスワースとルミエールは同じくらいの年のおじさんで性格だけ逆、という感じだったと思うんですが、本作ではコグスワースのかわいい系おじいちゃん的なドジっ子ぶりが加速&前述のとおりルミエールが若さを感じる多弁無邪気めプレイボーイに設定されていて、そういう全然違う二人が仲良くつるんでいるのがとても可愛いですね…チェスとかしてるし…。さすがに年の差があるからか、このルミエールとコグスワースは相手をフランベしたり取っ組み合いの喧嘩したりはしなさそう。それで人間に戻ったらサーイアンマッケランとユアンマクレガーの顔してるからほんと勘弁してくれよって感じですよ(外見を加点要素にしてしまう愚かな人間)。

物語の終盤に追加された、呪いの時間切れによりついに使用人たちが調度品そのものに変わってしまうシーンで、ルミエールの恋人が早々に意識を失ったのをいいことに(?)コグスワースとルミエールがふたりきりでそっと交わす別れの挨拶がとても切ない。
なお、その後呪いが解けて人間に戻ったときもまずはふたりで微笑み合います! 仲がいい! ありがとう! あとビーアワゲストでやり過ぎて落下したルミエールをもたもたコグスワースが起こしてあげるのも大変よかったです。ありがとう! おじさんたちが仲良くしてるのって最高だね!!

あと特筆すべきは無口なコート掛けシャポー氏(イントネーションはシャ↓ポー↑)、コートも掛けられるしお皿も拭けるし小さき存在たちをこまこまと机に載せてくれるし給仕もできるしバイオリンも弾けるうえボクシングも強いという逸材です。使用人たちの中では貴重なんでしょうね、人間サイズかつ機動力のある存在(他の大きめメンバーはキッチンそのものとかハープシコードとか洋服ダンスとかなので…)。アラジンの絨毯的なしゃべらない良さ。

実写版は、一見明るく振る舞っている使用人たちが実は全員死のタイムリミットを抱えているという点でオリジナル版よりエモが増されている印象です。そもそもあの呪い、バラが散るまでに王子が愛し愛されなかった場合はその姿が永遠にキープされるという呪いであって、少なくともアニメ版では「使用人たちが全員実質的に死ぬ」という話ではなかったような気がする(実際に最後の花びらが散ったあとも、しょんぼりしてるだけで生きている)。野獣以外の全員が実質的に死ぬ呪いだとすると、ベルを家に帰してしまったことの重みがかなり変わってくるなと思いましたね…。そういえばミュージカル版も「昨日までなかったネジがある」「だんだん道具に近づく」等と言っていたので、この実写版の方の設定に近いのかもしれません。

あとは終盤の戦闘シーンが熱い。ミュージカル版では一切描写されない(ので、観たときは「あの殺意に燃えた村人たちはどこへ…?」と呆然とした)調度品VS人間の大バトルを、実写ではかなりの長尺かつホーム・アローンくらいの楽しさでお届け。ハープシコードであるところのマエストロが鍵盤ぶっとばして戦うところなんか最高ですよ。そのあと人間に戻ったら歯がなくなってて可哀想でした。歯を飛ばして戦ってる感覚だったの??

3.アニメ版に戻ってきた話

ここまできたら改めてアニメ版もじっくり観直すべきでしょうと思い、20年ぶりくらいに観てみてびっくり。面白い。絵が凄い。話がきちんとまとまっている(オリジナル版84分)。全体的に展開が早い(IMAX版でも92分)!!

やっぱり表情と動きが豊かっていうのはものすごい武器だと思いました。特に使用人3人衆(ルミエール・コグスワース・ポット夫人)。無機物をあくまで無機物らしく描写したのが実写版なら、限界まで有機物らしく、いきいきとさせたのがアニメ版。観ていて楽しいのがどちらかと言えば、明らかに後者のほうが楽しい。ポット夫人が顔パーツしかないのにあんなに生き生きとワゴンの上で躍動できるのはアニメだけに許された嘘というか誇張というか、表現の幅の広さがあるからですね。あと、野獣ね! 野獣! 野獣のビジュはどうあがいてもアニメがナンバーワン! 凄い。芸術。完成されてる。最高のキャラデザ。マントのはためきのぬめりも美しい。

ところで、ベルのお父さんに弄ばれるコグスワースを見て口元に手を当ててくすくす笑うルミエール、可愛すぎません…? 3回巻き戻して見たけど…(←すぐこういうことをするので、本当に手元に映像がほしい)。

VS村人決戦シーンのさ~コグスワースがルミエール助けるとこすごくいいですよね、いや子供の頃はごくごくさらりと見てましたけど大人になるととてもいい、直後にルミエールも自分の彼女助けてるけど、言葉にしない感謝のシーン(両頬への丁寧なヴェーゼ)があるのはルミエール→コグスワースだけだしコグスワースは照れもせずただただ全力でうっとうしがっててね……。
如才なく万事を切り抜けまくり、相方をろうそくでちりちり熱しまくりだったルミエールを小心者かつ天性のドジっ子コグスワースがこんなにスマートに助けて何も恩に着せないこと、そして普段あれほどぺらぺらよく喋る口先フランス男のルミエールがありがとうのひとことも言わずにただただ黙ってニコニコしているところがさあ…最高のシーン……。
なおネットで見た情報によれば、ルミエールの大ピンチをコグスワースが救出する激熱シーンは実写版にもあったもののカットになったらしいです。意味がわからない。何でそんな大事なところカットしたの!?

みんなが大好きな名曲『朝の風景』の、ベルの「もっと夢がほしいの」のところでカメラがぐりーーっと回るところ、息を飲みます。凄いものを見た!と思う。もちろんビーアワゲストでも思うし何よりやっぱりダンスシーンで思う。おずおずと~ふれあうわ~指と指~~~~。
カメラワークの概念は基本的には舞台にはないし(※セットの回転とかはある)、リアリティを超越した表情の概念は実写版には難しい、媒体により強みって全然違うんだなあ…と心から実感しました。いやすごい。DVD買おう。

4.ビーアワゲストが大好きなんだよという話

ミュージカル版・実写版・アニメ版のどれにおいても物語中盤でおっぱじまる祝祭こと『ビーアワゲスト』、個人的な『美女と野獣』の好きなところ(歌とキャラデザと使用人たちの善良なおもてなしと調度品がいっぱい動いて楽しいところ)のエッセンスを凝縮した一曲です。
この使用人総出の壮大なパーティが彼らの純粋な優しさから開かれているのかと言えば、全員どこかには「この子が楽しく過ごしてくれれば、ゆくゆくはご主人様に恋して自分たちの呪いを解いてくれるかもしれない」という下心がなくはないはずなんですが、それだけにしては完全にやり過ぎ、シャンパンあきすぎ、料理作りすぎ、歌歌いすぎ。
本来はおもてなしが大好きだったのに、不幸にも呪いにかけられてしまった使用人たちが、10年間待ちに待ちに待ちに待っていたたったひとりのお客様をついつい過剰に大歓迎してしまうという明るさと健気さがすごくいい。だって"Why, we only live to serve"(奉仕こそが我々の人生)で"It's been years since we've had anybody here"(もう何年もどなたもいらっしゃらなかった)なんですから。唯一毎日食事してくれる王子様、牛乳がけオートミールを顔で食べるんだから。そりゃあね…嬉しいよね……。

ここで、各種映像やサントラで手当たり次第にビーアワゲストを聞きまくってみた私のお気に入りビーアワゲストポイントを書いておきます。特記のない場合はルミエールの歌か台詞です。

○アニメ版(原語ver.)

"Oui, our guest"
ルミエールのフランス訛りをちっとも受信できない自らの英語力が憎いのですが、ここの「ウイ」は実にフランス的でとてもよい。いい笑顔だし。ちなみにしばらくWeに空耳していてどういうことだろうと思っていた。

ポット夫人の "She's our guest!"
どういう鍛練を積めば、歌声に喜びの感情をこれほどの特盛りで載せられるのか……と思っていたら、ちょうどこの部分のレコーディング映像がありました(7秒目くらいから)。なんて可愛い方なんだろう、アンジェラ・ランズベリー

www.youtube.com

○アニメ版(吹替ver.)

前口上「お城のキッチンが腕によりをかけました!」
「キッチン」のちいさいツが限りなく短い(「キチン」に近い)ところの品のよさ
と、「た!」のところにみなぎるサービスへの自信。
ちなみに実写版の歌詞は全部新訳なんですが、このあたりの口上だけは丸々アニメ版のまま残っていて、エモいじゃん…と思いました。

「フランス料理はさいこォ~、さ」
「さ」の添え方に光る表現力の高さよ…。

ポット夫人の「お客~さまよ!嬉しいことね!」
原語版に引き続き、嬉しそう過ぎて最高。

どうやら本作の日本語版サントラは再録らしく、上記の映画バージョンとは音源が違い、例えばルミエールのプリンに~!ソルベ~!のあたりがサントラだと巻き舌になります。2バージョンも聞けるなんて贅沢。

○ミュージカル版のサントラ(1996年ver.)

「ごちそうですよ」
き、給仕長感が…かっこいい…。

「太ってなまけて、そこへ、あなたが」
この音源に限らず、どのバージョンでも、上記「太って…」の部分(原語だとFlabby, fat, and lazy, you walked in and oops-a-daisy!)は全部好き。

ポット夫人の「神様ありがと 輝く夜を」
歌詞の語呂がものすごくいい。あと単純に歌が超うまい。

コーラス部「今宵楽しく、思い残さず」
急にせつないこと言わないでよ! 絶対またできるよ!

四季のサントラは2023年版もあります。96年のルミエールは大人の雰囲気漂うダンディ、23年のルミエールはすごく若い。私は96年版がお気に入り。ビーアワゲストに限らず全体の歌唱力がえぐい。

○実写版(吹替ver.)

「そう、フランスですからねぇ笑」 
歌詞にはないが明らかに「笑」がついている。フランスプライドがエッフェル塔級なところがよく出ている。

「これはもう料理の、ギャラリー…(掠れ声)」
これ原語だと「キャバレー…(掠れ声)」なんですが、この別単語で語調を合わせる感じ好きだなあ。フレンドライクミーの「アリトルモアバグラバ~♪」が「お手元にドゥビドゥバッバ~♪」になってたのと同じ良さを感じる。

コーラス部「お客様がようやくみえた 久しぶりのおもてなしがんばろう!」
かわいすぎるでしょ。がんばれ!

○実写版(原語ver.)

「マシェールマッマゼール……」
冒頭部。あまりにもセクシーでユアンいい加減にしろよと心底思った。

プディング?」
一番最後。あまりにもかわいくて(略)何でここまでサントラに入れてくれなかったんですか!?

実写版、歌の最中にあまりにもベルがご飯食べられない(おもてなしの本末が転倒している)ので最後激怒したらどうしようかと思いました。笑ってくれてよかった。ルミエールが過去を嘆くシーン(雪の演出つき)とか完全にお客様の死角で何も見えてないですからね。なお、ろうそくなのにびっしゃびしゃになって雨に唄えばパロまでやります。

5.総括

ルミエールが好きです……。

感想を書けば書くほど、自分がベルと野獣の恋愛模様にはさほど興味がなく(それぞれのキャラクターはとても好き)、そのくせルミエールとコグスワースのひねくれ友情物語とかご主人様と使用人たちの関係性の地道な成長とかにはぶち上がるタイプだとわかりました。あと、最初の方にも書きましたが、不条理や困難を舐めてきた人たちがそれでも思いやりや優しさが物事を解決すると信じて頑張って善くあろうとする様が好きです。これ、ものすごく大雑把に言えばズートピアとかベイブを好きになったのと同じやつだな…。

どの作品もそれぞれにいいところがあるけれど、突然沼った原因はミュージカル版を見たからだと思うので、舞浜へのアクセスのよい方には是非おすすめします。生の歌唱や演技の力ってとてつもない。キャストの方も交代制なので私が衝撃を受けた回とは印象や演技が違うケースも多々あるかとは思いますが、それはそれで、きっと全部すごいのでしょう。絶対そう。でも最初に出会ったキャストのひとを永劫推してしまう予感もすごくしている。私にはそういうところがある。いずれにせよ引っ越し前に絶対にまた行きたい。

 

おまけ1:Human Again(人間に戻りたい)について

ミュージカル版でとても耳に残った曲『Human Again』、アニメ版でもIMAX版作成時に追加されており、ブルーレイ等で観られます。曲調がかわいらしいし使用人たちに芽生えた明るく前向きな気持ちがしみじみと織り込まれていて、どちらのバージョンもすごく好きです(本来自由であるべき他人の恋心に熱烈に期待することの不健全性はこの際置いておく)。

使用人一同のコーラス 吹替版:
また踊ろう また歌おう!
皆で楽しくね
また人間に 戻れるなら
ワルツを踊ろうね
ウキウキして コロコロして
遊びまわろうね
また人間に 戻れるなら

何だろうこの、10年もつらい思いをしてきたはずの人たちの、何の恨みもない、素直で無邪気で期待に満ちた歌詞は……(泣いている)。メロディもね、かわいいんです…メンケンが天才なので…。

ちなみに冒頭のソロ部分ではルミエールが「人間に戻れたら両腕に美人を抱く」と堂々と宣言しており、ポット夫人がそれに当たり前のように「一部の夫たちは心配するでしょうね~」などと返していた(原語歌詞)ので、総合するとルミエールが同時に複数名に、且つ人妻でも気にせず手を出すタイプのハイレベル浮気者だとわかる曲でした。いいのか。ディズニーなのに。まあいいか。いいの? なおこのやりとりを目の前にしても羽根箒の彼女は全然ニコニコしてたので、なるほどつまりルミエールと羽箒の子はイチャイチャフレンドではあるものの交際関係ではないのか……と思う私(※おまけ2への伏線)。
でもそんなルミエールが、人間に戻れたらやりたいこととして一番最初に言うのが「お料理」だっていうのが何だか、しみじみといいですね(その後は全部女遊びの話してるんですけど)。

おまけ2:アニメ版の続編・続々編を観た話

見られる限りのものは完走してやるぜ!と思って、つい先日続編と続々編(いずれも映画ではなくホームビデオ)をTSUTAYAで借りてきました!
見ました!
激怒!!!!☆


激怒は嘘ですが、ちょっとおもろいくらい解釈違いを起こしたうえ展開が耐えられなくて30秒スキップとか駆使しちゃったよね。すみません。いやでも。何でこんな。いやいや。うーん!

特に、続々編(3作目)にある「使用人たちが個々に仲たがいを繰り返した結果パーティの準備が全然できずベルにたしなめられる」という展開がもうびっくりするほど「これ作った人たちビーアワゲストちゃんと観ました!!?!??!」って感じ!で!私は!!(ビーアワゲストの強火担)
この城の人たちがどれほどおもてなしのプロフェッショナルでどれだけパーティに飢えていて有能で統制が取れていて、夜中にお腹がすいてこっそりやってきたベルに10年のブランク&準備時間ゼロにもかかわらず最高のおもてなしをしていたか覚えていらっしゃらない!!?!??(強火担)
確かに彼らは見た目はちっちゃくておもちゃみたいですけど、もとは、もとはというか今も本当は年齢を重ねた人間で、ベルは聡明で強くて恐ろしい野獣にもちゃんと意見を言える自立した女性だけれどもそれでも16歳の娘さんで、お父さんを守ろうとした結果孤立無援になってしまった彼女に寂しくて怖かったでしょうでも大丈夫ですよ我々があなたを歓迎しますよ、ほら元気を出してくださいねっていう、大人たちの優しさと過剰なおもてなし心の暴走だったじゃないですか、ビーアワゲストは…そんな彼らが…ベルの助けがなければケーキのひとつも焼けないわけ…ないだろうが…!!!
続編によくある、個々の特徴をコミカルに誇張した結果登場人物が軒並み賢くなくなって主人公が無双になるやつ~わかるけど~強火じゃないときはまあよくあるよねって許せるんだけど~~。

ベルが城に来た後・舞踏会の前という超限定的な期間にねじこまないと全員のビジュアルが人間に戻ってしまうので仕方ない(なお本編では当該期間はほとんどないので、続編と続々編はどちらもIFストーリー的に見るべきなんだと思う)んですが、結果として野獣は性格に難があるままなのでとても感じが悪いし基本的に「野獣が癇癪を起こしてみんなで沈む」「使用人たちが勘違いですれ違う」「使用人たちが大喧嘩する」のいずれかの話しかないので見ていて疲れます☆★☆ でもルミエールがコグスワースでスノボするところ(!)はめちゃくちゃすぎて逆に良かった。
※ベルのお父さんが再び森に入ったのはベルが人質になった日の夜中で、ベルは彼(吹雪で迷ってるけどまだ存命)を助けるために城から帰されるわけなので、お城にいた期間は実質足掛け2日からせいぜい3日くらいっぽい。


まあ他にも解釈違いポイントはめちゃめちゃある(Human Againをあんなにニコニコ聞いていた羽根箒の彼女がルミエールへの独占欲を突然剥き出しにするはずないだろ!とか ←伏線回収)(君たち使用人なのに、スプーンもまともに使えない王子様に徹夜で屋根の雨漏りの修理させてるの!?とか)(あるんですよ…そういうシーンが…)んですけど、まああくまでIFストーリーなので目くじら立てても仕方ないということはわかる…ベル相変わらず歌うまいな! とかジェリー・オーバックの声が聞けて嬉しいな! とか調度品たちがいきいきちょこまかと動く様は楽しいな! とかチップの声がハーレイ・ジョエル・オスメント君でびっくり! とか、そういう観点でエンジョイすべき作品なんだと思います。というか、ビーアワゲストの強火担じゃない人(もしくは使用人たちの優秀さに変にこだわってない人)なら全然楽しく観られるのかもしれない…。
あとは、オリジナルストーリー追加により結果的にベルとの出会いから改心までの期間が引き延ばされることによって、本編では一晩で人間性を取り戻していた野獣に対して「この人なかなか更生しないしベルに何度も酷いことをするなあ!」と思ってしまうのがちょっと可哀想でした。

でもなんとか冷静さを取り戻してみると、続々編はともかく続編の方はまだよかったかもしれない。主題歌がいい曲だし、悪役(パイプオルガン)の声が壤晴彦で超格好良いし。
あと、クリスマスプディングにカスタードは入れる?と聞かれたルミエールが「我々を野蛮人だとでも? もちろん入れる」って言っててほんとにフランスプライドの悪いところがよく出てていいなと思いました。いやでもそもそも君たちって食事できるの? どう考えてもモップやお皿やはさみは無理だろうから口のある皆さんもたぶん食べられないのでは? 実写版でも「味はわからない」って言ってたし。ほーらこうやってすぐ整合性を気にする厄介オタクはやっぱりゆるふわめな続編の視聴には向いていないんだよ!もう!!